ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

父の霊が来た

昨日の晩、キッチンでお湯をわかし、ジャスミンティーを淹れようとしていたら、背後に人影が見えました。背後に見えるというのは、ちょっと日本語としておかしいですよね。背後に感じたと書いたほうが正しいのかもしれませんが、私は見えていないのに、「あ、お父さん?」と話しかけていました。


父はすでにこの世にいない人です。父の死後、私は何度も父に会っています。最初は亡くなった翌朝。実家の廊下をスリッパで歩く父の足音を聞きました。ダイニングにいた私と母、弟夫婦も、いっしょにその音を聞きました。「あ、お父さんのスリッパの音だ」と私が言うと、みんな息をのみ、耳を澄ませました。パタンパタンという父独特のリズムの足音で、家族は誰が聞いてもそれが父の足音だとわかるはずなのに、誰も信じようとしませんでした。父の足音は階段を登って二階に上がっていきました。
「お父さん、自分の書斎に入っていったのかな」と私が言うと、「まさか。何か別の音でしょう」と皆は言いました。


その後、私が中国へ来てからも、多くは私が寝ようとしているときに、ふいにベッドルームに現れます。夜、ベッドルームに現れる幽霊はよくみるタイプの幽霊なのですが、まさか自分の父もこんな超ベタな登場をするとは、正直がっかりで、もう少し個性的な出方はないんかい、と突っ込みたいところでした。父はいつも何を告げるわけでもなく、生きていたときと同じように私のところにやってきて、一言二言話をして、「なんだったんや?」と思うほどあっけなく消えていきます。


ところが、昨日は違いました。「お父さん、13日が命日だったね。ごめん、バタバタしていて何にもしれあげられなかったね」と話しかけると、「いや、何もいらないよ」と父。「命日は実家に行って、昨日は神奈川に行ったんでしょ?」と聞くと、「うん、結構忙しかったよ」と答えてきました。「残念、家にはお菓子も何にも用意がないよ。ジャスミンティー淹れてるけどいっしょに飲む?」とお茶に誘ったら、「ジャスミンティーとは何だ?」というので、「ああ、お父さん嫌いかな。バスクリンのお湯みたいな匂いのお茶だよ」と答えました。すると父は、「お前の分だけ淹れればいいよ、どうせ飲めないから匂いだけ嗅がせてくれ」と言う。へえ、おばけって飲めないのかぁ、と妙なところに関心していたら、ポットから立ち上ったジャスミンの香りがよほどお気に召さなかったと見え、「あ、だめだ。この匂い」とあとずさり。「お母さんと仲良くやりなさいよ」と言って、家を出て行こうとしました。「だめだよ。今は到底むり。こちらが歩み寄っても、また決裂するのが分かってるから、私、いろいろ考えているんだ」というと、「お母さんも年取って気弱になってるから、生きているうちに和解しないと後悔するだろ? 死に目に会えなかったら、後悔するだろ?」と言われました。「私は、姪の死に目にも、お父さんの死に目にも、おばあちゃんの死に目にも会ってないけど、後悔してないよ」とケロッと反論したら、「まあ、そうだな。後悔しないだろうな」と笑ってどこかへ言ってしまいました。


お父さん、何しに来たのかな? なんかただふらっと立ち寄っただけという感じだった。やっとあの世で平穏な自由が持てるようになったのかもしれないね。この年の瀬に、親戚回りをして、みんなの様子を見に来たんでしょう。仕事以外では何をやっているのか、よく分からない父でしたが、死んでも相変わらず、分からない父です。もう、姿が見えなくなったので、駄目かなと思ったけど、「○○(姪)とおばあちゃんとおじいちゃんはどうしてる?」と聞いたら、「最近は、みんなと会ってないな」と父の声だけが聞こえました。ああ、全くもう、何やってんだか。使えない里帰りだこと。それにしても、幽霊って便利だね。中国まで飛行機にも乗らずに来られるんでしょ? あのあとお父さん、どこ行ったのかな? 私はこういう家族があの世で待っているので、べつにどこでのたれ死のうと、ぜんぜん怖くありません。みんなが笑顔で待っていてくれるような気がしていて、魂が肉体から抜けたあとのことが、とってもワクワク楽しみなのであります。


ああ、でも苦しい苦しい人生は、きっとまだまだ続くのだろうなぁ。あの世から皆が見てるから、死んでから叱られないように、いっしょうけんめいやらなきゃね。