昇太は、ワタシが育てたんだゾ!

今日は、人生最大級にうれしいことがありました。「笑点」の時期司会者に、春風亭昇太が選ばれたことです。


実は、私、昇太がまだ二つ目だった頃から、ずっと追っかけをしていました。出世の早い噺家さんだったので、あっという間に真打になり、最初は簡単に取れていたチケットも次第に取りにくくなっていきましたが、それでも私は彼の高座に通いつづけました。


中でも忘れられない思い出は、今から20年以上も前のことですが、今は無き「ル・ピリエ」で、観客のじゃんけん大会になり、なんと私が勝ち残ってしまって、舞台に引きずり込まれて、そのときゲスト出演していた芸人さんの蝶々の衣装を背負わされたことです。無理やり舞台に上がらされたので、膝の上に載せていたバッグが床に落ちたのを、昇太さんが拾ってくれたのを、私は見逃しませんでした。思えば、とてもファンを大切にしてくれる人で、今回の司会抜擢も、そういうかわいげのあるキャラクターがあったからだと思います。


ファンの一人として、今回の司会発表の前に、「昇太の可能性もゼロではない」と私は思っていました。笑点の特番などで司会役をすることがあった昇太ですが、仕切りがとてもうまく、アドリブの利かせ方がうまくて、嫌味がないのがとても良いなぁ、と思っていたのです。


本当にうれしい今夜ですが、古いファンとしては、ちょっとだけ淋しい気持ちにもなります。池袋の北口を個性的な私服を着て、一般人に混じって歩き、電車に乗って家に帰っていた昇太を、もう見ることができないでしょう。だから、せめて、結婚しないでね、昇太さん!

最近、読んだ本【福祉5】

新書470発達障害 境界に立つ若者たち (平凡社新書)

新書470発達障害 境界に立つ若者たち (平凡社新書)


社会の中で、とかく疎外されがちな発達障害の人々。私の身近にも発達障害の人がいて、どう接したら良いかわからずにいました。


この本は、発達障害に類するさまざまな障害者ひとりひとりにスポットをあてて、かつてA学院という発達障害の若者たちに学習の場を与えてきた学校の元教師が著した本です。


初めは熱血教師だった彼が、経験を重ねるうちに、「克服できない障害」の現実を知り、あきらめるのではなく、彼らに合わせた社会の在り方を考えるようになっていきます。残念ながら、少子化の影響を受けて、A学院は閉校してしまいますが、この本が世に出たという事実だけは、永遠に残ります。


一見ふつうの人に見えるのに、簡単な計算問題がとけなかったり、漢字が書けなかったり、空気を読めなくて人に迷惑をかけてしまったり、健常者にとっては簡単にできること、たとえば「この仕事とこの仕事とこの仕事をお願い」と頼まれると、もうそれだけで頭の中が混乱してしまうような、そういった人たちが、発達障害者です。自閉症と呼ばれるものや、ADHDなども発達障害で、さまざまな症状があります。トム・クルーズも「ディスクレシア=難読症」といって文章を読んでも意味が理解できず頭が混乱してしまうという発達障害を持った人の一人です。でも、彼は俳優として大活躍していますよね。日本にも、ごく一握りではありますが、東大だとか一流の研究所などで、突出した才能を活かして、人生の壁を乗り越えている人がいます。


しかし、この本に出てくる人びとは、皆、職を転々とし、健常者から無用の人として扱われ続けてきた「ごく一般的な発達障害者」なのです。私たちは、根本的な部分で彼らを救うことはできないかもしれませんが、手伝えることくらいならありそうだな、と思いました。

席をゆずらなかった女

今日、バスに乗りました。ゴールデンウイークのため、とても混んでいました。立っているお客さんも大勢いて、車内はむしむししていました。


そのとき、足の関節が義足の男性が突然貧血で倒れました。健常者でさえ辛い車内で、無理をしてしまったのでしょう。


その男性の目の前に座っていた女性が、立ち上がって席を譲るかと、私はかなり後ろの離れた席から見ていたのですが、一向に立ち上がる気配はなく、そればかりか、男性が倒れたことにさえ無関心といった様子で、じっと前を見たままで無視しています。


んな、あほな。


血の通った人間なら、ふつう、席ゆずるだろと、誰もが思ったと思います。


結局、倒れてしまったその男性は、その一つ前の席の人に席を譲ってもらって、周囲の男性たちに抱えられながら、席に腰を下ろしました。


私は、自分がバスを降りる時、席を譲らなかった女の顔を見てやろうと思って、ちらっと横目で見てみました。


あきらかな知的障害者の表情をした人でした。


なんだか悲しくなりました。

同窓会の件

中国に語学留学していたときに、会話のクラスの王先生に、インタビューをするという授業があって、私は「中国の同窓会について」という課題を与えられました。


それで、いろんな質問をしてみたのですが、そのなかで、「先生は同窓会が開かれるなら参加したいほうですか? それともあまり参加したくないほうですか?」と聞いてみたのです。


実にはっきりと物を言う先生なので、次のような回答が返ってきました。


「同窓会なんて、あんなもん、出るもんじゃない! 誰々のかみさんは美人だとか、誰々の息子は重点校に合格しただとか、誰々は会社を立ち上げて成功しているだとか、そんな話をわざわざ聞きに行くなんて、金をもらっても行きたくない!」


で、今日、私の家に同窓会の通知が届いていました。実は私、ちょっとイイお嬢様学校を卒業していて、同級生の多くが良い暮らし向きなんですよ。私はぜんぜんお嬢様じゃないので、自由奔放に生きてきてしまって、同窓会ってすっごく行きづらいんです。姑と仲たがいして、離婚して、中国に10年近く行っていたくせに、中途半端な中国語しか話せなくて、精神障害背負ってて、仕事も非常勤で、ただ中年のおなかの弛みをどうやって隠すかくらいしか関心事がないという自分が、あの華やかなお嬢様学校の同窓会に出たって、嫌な気分になるだけです。金をもらっても行きたくない! と思い、ご出席の文字を二本線で消して、ご欠席の「ご」を二本線で消して、ポストに入れました。


王先生のあの発言に勇気をもらいました。じゃなかったら、私、見栄を張って、出席の通知を出していたかもしれません。


いやなもんは、いやじゃ!

同士にしか分かり合えない絆と空気

職場に自分の居場所を見つけられず、ずっと苦しんでいましたが、どうやら、なじめない理由は、仕事の難しさに起因していることがわかってきました。


私の所属する係の仕事は、かなり努力を要する仕事で、一つ一つの案件をきっちりと把握していかないと、応用がきかない仕事です。誰もがこの係に所属すると、落ち込み、苦しくて辛くて、自分が役立たずの人間のように思ってしまうようなのです。


そこに拍車をかけているのが、係の人たちの当たりの冷たさです。忙しい係なので、分からないことがあって質問をしても、その人の知識をだーっと話してくれるだけで、到底、教えてくれているという感じではありません。でも、みんなそれに耐えて、潜り抜けてきている人たちばかりだったのです。


だからこそ、苦労を乗り越えてきた同士としての絆や空気という「共有感」が生まれていて、新人はそこに溶け込めないわけです。ある人は、それを「新人の必ず通る道」と表現していました。


負けてなるものか、と思いました。いや、負けません!

ケイタイを買った!

ガラケーだけど、1年半ぶりに携帯電話を持ちました。障害者なので、いろいろ割引してもらえて、びっくり。なんかちょっと申し訳ないくらいの気持ちです。でも、せっかくなので、ありがたく割引していただきました。