ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

カミングアウト―――入浴


実は私は、お風呂に入れません。シャワーも浴びられません。禁止されているわけではなく、ただ単に怖いのです。


理由は2つあります。


ひとつは、のぼせてお風呂場で倒れて、大騒ぎになったこと。もうひとつは、お風呂場に嫌な思い出を、自らが作ってしまったことです。


その思い出とは、中程度の躁状態から、一気にうつに急降下し、自分のありとあらゆることを否定的に考えていたときのことです。母から、私のお金の使い方について文句を言われ、月に2万円ずつ母から渡されることになってしまいました。48歳にもなって、財布の中に最高2万円しか入っていないというのは、とても心細いし恥ずかしいことだと私は思いました。大好きだった、いや、生きがいですらあった「歌のボイストレーニング」にも通えなくなってしまって(授業料が捻出できないから)、自暴自棄になってしまいました。そのとき、降り注ぐシャワーの下で、リストカットをしていました。自分の意識の外で、刃物を握り、手首にそれをすべらせ、真っ赤な血でお風呂場の床が染まっていくのを、空虚な意識で見つめていました。


母が気づいて、すぐに私を助け起こしたので、こと無きを得ましたが、あのままシャワーの下に何時間もいたら、あの世に行っていたと思います。


入浴すると、あのときのことを思い出し、とてもさみしいきもちになり、同時に恐怖感が湧いてくるのです。それは、リストカットしたことへの恐怖感ではなく、生きることへの恐怖感です。だから、入浴ができない。シャワーの音を聞くのも正直、あまりうれしくないのです。


普段は、頭は洗面台のシャワーで洗い、枇榔な話ですが、下半身は、上半身の服を脱がずに洗います。上半身は、ほぼ拭くだけですませることが多く、いよいよシャワーを浴びることになると、決心するまで1〜2時間かかって、ようやくお風呂場へ行くという、難儀なことをやっています。


リストカットのときに、母が病院に電話して主治医に、どうしたらいいか聞いてしまったものだから、以来、医師が私に対して、非常にナーバスになりました。「この患者は、いつ自殺するかわからない」という警戒心があるのでしょう。本当は、死にたくなんかないですから、そんなに心配していただかなくても、大丈夫なんですが、そのことよりむしろお風呂に入れないことのほうが、現状、深刻な悩みです。