ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

「見てんじゃねーよ!」は文明人?

ヤンキーの皆さんが、「見てんじゃねーよ!」と一般市民に絡むのはなぜなのかと考えたことがありますか? 「ぜひ見てください!」と言わんばかりのキメキメファッションで、コンビ二の前にしゃがんでおられると、どうしたって目が行ってしまうし、怖いもの知らずの私などは、「あのヘアスタイルはどうやって作るのだろう?」と良く観察したくなるし、いっしょにしゃがんで写真撮りたい、なんて思ってしまうのですが、どうやら彼らはあんまり見て欲しくないようです。


要は好奇の目を向けられると、「なめられている」と感じるのでしょう。そして、「人のことを珍しいものでも見るような目でじろじろ見るんじゃねー!」と言いたいのでしょう。そう考えると、彼らの言い分は非常に紳士的です。マナーとして、人様の身なりや様子をじろじろ見たり、こそこそ見たりするのは、良いことではありません。


なぜ、こんなことを書くのかというと、私は中国でよく中国人にじろじろ見られるからです。それも「ガン見」です。私は日本人なので、仕事で人と会うときは、日本人のキャリアウーマン的な服装をしていきます。私たち日本人にとっては、かなり自然なことなのですが、その服装で中国の田舎の町を歩いていると、相当目立つわけですね。メイクの仕方も中国人とは全く違いますし。


それで、見られるたびに思うのですが、私を見る中国人の目が、アフリカかどこかの未開の地に住む人々がテレビカメラに向ける目と同じなのです。笑顔を見せるわけでもなく、怪訝な表情をするでもなく、非常に無機質な真顔で、ジーッと見る! 臆面もなく、恥じらいもなく、身動き一つせずに他人を見続け、相手と目があっても、決して反らさない! 少しもひるむことなく見続ける! 


ニンゲンが珍しいものを見つけたときの最も正直な反応は、「じっと見る」という行動なのかもしれません。それが、文明の発達や情報の進化などによって、「見てはいけない」「見るのは失礼にあたる」という価値観が生まれ、本当は見たいのに、がまんしているのではないでしょうか。


中国の都会の人々はだいぶ、「見る」という行為の恥ずかしさに気づき出しています。ですが、田舎育ちの人や、高い教育を受けられなかった人などは、臆面もない見方をしています。この国では、あまり障害者が外を出歩きません。それは、まちがいなく好奇の目にさらされるからです。家族が本人を守るために、外に出したがらないのです。


さて、今日は、「見る側の意識」にスポットを当てて書いてみましたが、次回は中国人の「見られる側の意識」について、書いてみたいと思います。これがまた面白いんですよね〜。日本人とはぜんぜん違います。