ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

涙ってなぜ出るのだろう?

うつ病になって、自分自身と向き合う治療を行っています。よく言われる認知療法といわれるものなのでしょうが、これがなかなかハードです。認めたくないものや、逃げてきたものを受け止め、立ち向かい、そしてそれを流れる水に静かに浮かべるような、そんな練習をしているんですが、やっている最中に、どうしても「泣きます」。とめどなく涙がこぼれるんです。なぜ泣いちゃうのか、よくわからないのですが、止まらない涙です。


ちょっと話は横道にそれますが、「体から液体が出る瞬間というのは快感である」という話を何かで読んだか聞いたか…、ずいぶん前のことで忘れちゃいましたが、確かにそうだなぁと思います。


おなかがパンパンに張るくらいおしっこを我慢していて、ようやく駆け込んだトイレで、「ふぁ〜」と思わず声が漏れちゃうという経験、みんなありますよね。風邪を引いて、鼻水が止まらないときに、人目をはばからず思い切りかんだ時の爽快感。もちろん、もっと性的な意味合いにおける液体の放出というのも、語らずもがなですが、涙を流すっていうのも非常に快感を味わえるものです。


子どもって、呼吸困難になりそうなくらい、激しく泣いたりしますよね。ギャン泣きっていうんですって? もうこの歳になると、ギャン泣きなんかしたら、警察呼ばれちゃいそうですから、決してしませんが、実はやってみたいことの一つでもあります。


認知療法で泣くというのは、良いことなんだと医師は言います。泣きたいだけ泣きなさいとおっしゃいます。人は成長するにつれ、いつの頃からか、泣くことを遠ざけようとするようになります。何か理由がないと泣けないんですよね、大人って。たとえば、映画を見て泣くとか、人の死にふれて泣くとか、試合に勝って泣く、負けて泣く…つまり、「泣く」ということに周囲が納得できる理由がないと、思い切り泣くことができないんですよね。


でも、私は今、毎日のように一人で泣いています。「ああ、私、本当は泣きたかったんだ」と気づいたのです。ずっと我慢してきたことがあって、それから目をそらして、泣かないように泣かないように、がんばり続けてきたんだと思いました。もちろんそれは、大人として、自分自身を守るために必要な手段であったことは認めるけれど、ただ我慢するだけで、自分自身がひとつも納得していないまま、ここまで来てしまったことに気づきました。


中国人って、割と感情をストレートに表現する人たちで、職場でメソメソ泣いていたり、気が狂ったかと思うほどにわめき散らしたり、相手の胸ぐらを掴んでケンカしたりして、自分の思いを爆発させるのがとても上手です。周囲もそれを当たり前だと受け止めてくれるから出来ることなのですが、ちょっとうらやましい気がします。


中国人は、機嫌がいいと、どこでも一人で勝手に歌を歌いだしたり、笑い出したりします。初めてそれを見たとき、私は、「この人、頭おかしいのかな」と思ったのですが、中国人に言わせると、「歌も歌えないなんて、日本って窮屈な国ですね」とのこと。私、せっかく中国にいるんだから、ちょっとコックを緩めて、小出しに吐き出すところから始めてもいいかなと思っています。プシュっと少しだけでも放出できたら、楽になるだろうなぁ。でも、泣きすぎは禁物です。翌朝、化粧のりが異常に悪くなります故。