ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

ありがとう、と言わないで過ごすこと

中国人は、「親近感」を重んじる人たちだ。中国語を勉強すればするほど、その思いは深くなる。例えば、日本人が最初に中国語を学ぶときに使用するテキストには、よく、「よろしくお願いします。」という言葉が出てくる。请多关照、がそれだ。しかし、中国で暮らしていると、ほとんどこの言葉は使われていないことがわかる。「请多关照」と言った瞬間に、日本人であることがばれる。逆に、日本人に慣れた中国人は、意図的にこれを使ったりする。まあ、その程度だ。


また、私たち日本人は、何かと言うと、「谢谢!」と礼を言う。ありがとう、という言葉は、礼儀の基本であるし、子供の頃から躾けられる習慣の一部と化している。人から何かしてもらったときに、ありがとうが言えないのは、人として失格なのだ。


しかし、中国人は、あまり「ありがとう」と言わない。なぜなら、礼を言うなんて水臭い、と考えるからだ。相手に対して親しみを感じ心を許しあってこそ真の人間関係が築けると信じている彼らにとって、「ありがとう」という言葉はその思いを踏みにじる言葉なのだ。不用意に使うと、相手を落胆させる結果を招く。日本人は礼儀正しいという固定観念を抱く彼らは、日本人が「谢谢!」と言ってもさほど気にかけないようだが、言われた瞬間はちょっと嫌な気持ちになるらしい。中国人同士だと、二度とおつきあいしたくないという意思表示の代わりとして、「ありがとう」とわざと言ったりするらしいから、かなりデリケートな言葉なのだ。


さて、「ありがとう」と言わない代わりに、何か言うべき言葉はないのだろうか。例えば、食事をごちそうになり散財させてしまったのを目の前にして、私たちは「ありがとう」以外の言葉で感謝を表せないのだろうか、と考える。しかし、中国人に言わせると、「おごりおごられ」と交互にご馳走しあうのが中国の習慣だから、当然という顔をしていればよろしい、とのこと。しかし、礼儀正しい日本人には、当然という顔はかなり難しい注文だ。


感情を表現する言い回しというのは、意外と教科書には出てこない。単純に、「嬉しい」「楽しい」「幸せを感じる」「気分が良い」といった表現は、かなり初級の頃に学ぶのだが、それ以上のボキャブラリーが増えていかないのが玉に瑕だ。食事中にあまり「おいしい、おいしい」と連発するのも疲れるし、料理の味についてのうんちくを語っても逆に興ざめな場面も多い。どうしたものだろうか。


で、私は最近、相手と喜びを共有するような言葉を言って、「ありがとう」の代わりにしようと試みている。「おいしかったね、また来ようね」と、自分も相手も良い時間が過ごせたことを確認する言葉を言うと、相手はとても嬉しそうにする。いい店に連れてきてあげて良かった、yueyaはこの店が気に入ったようだ、と満足してくれるのだ。だが、毎回このパターンもわざとらしい。やはり喜びの気持ちを「ありがとう」以外で表現できるようにするには、それなりの数の引き出しを用意しておく必要があるようだ。