ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

席をゆずらなかった女

今日、バスに乗りました。ゴールデンウイークのため、とても混んでいました。立っているお客さんも大勢いて、車内はむしむししていました。


そのとき、足の関節が義足の男性が突然貧血で倒れました。健常者でさえ辛い車内で、無理をしてしまったのでしょう。


その男性の目の前に座っていた女性が、立ち上がって席を譲るかと、私はかなり後ろの離れた席から見ていたのですが、一向に立ち上がる気配はなく、そればかりか、男性が倒れたことにさえ無関心といった様子で、じっと前を見たままで無視しています。


んな、あほな。


血の通った人間なら、ふつう、席ゆずるだろと、誰もが思ったと思います。


結局、倒れてしまったその男性は、その一つ前の席の人に席を譲ってもらって、周囲の男性たちに抱えられながら、席に腰を下ろしました。


私は、自分がバスを降りる時、席を譲らなかった女の顔を見てやろうと思って、ちらっと横目で見てみました。


あきらかな知的障害者の表情をした人でした。


なんだか悲しくなりました。

同窓会の件

中国に語学留学していたときに、会話のクラスの王先生に、インタビューをするという授業があって、私は「中国の同窓会について」という課題を与えられました。


それで、いろんな質問をしてみたのですが、そのなかで、「先生は同窓会が開かれるなら参加したいほうですか? それともあまり参加したくないほうですか?」と聞いてみたのです。


実にはっきりと物を言う先生なので、次のような回答が返ってきました。


「同窓会なんて、あんなもん、出るもんじゃない! 誰々のかみさんは美人だとか、誰々の息子は重点校に合格しただとか、誰々は会社を立ち上げて成功しているだとか、そんな話をわざわざ聞きに行くなんて、金をもらっても行きたくない!」


で、今日、私の家に同窓会の通知が届いていました。実は私、ちょっとイイお嬢様学校を卒業していて、同級生の多くが良い暮らし向きなんですよ。私はぜんぜんお嬢様じゃないので、自由奔放に生きてきてしまって、同窓会ってすっごく行きづらいんです。姑と仲たがいして、離婚して、中国に10年近く行っていたくせに、中途半端な中国語しか話せなくて、精神障害背負ってて、仕事も非常勤で、ただ中年のおなかの弛みをどうやって隠すかくらいしか関心事がないという自分が、あの華やかなお嬢様学校の同窓会に出たって、嫌な気分になるだけです。金をもらっても行きたくない! と思い、ご出席の文字を二本線で消して、ご欠席の「ご」を二本線で消して、ポストに入れました。


王先生のあの発言に勇気をもらいました。じゃなかったら、私、見栄を張って、出席の通知を出していたかもしれません。


いやなもんは、いやじゃ!

同士にしか分かり合えない絆と空気

職場に自分の居場所を見つけられず、ずっと苦しんでいましたが、どうやら、なじめない理由は、仕事の難しさに起因していることがわかってきました。


私の所属する係の仕事は、かなり努力を要する仕事で、一つ一つの案件をきっちりと把握していかないと、応用がきかない仕事です。誰もがこの係に所属すると、落ち込み、苦しくて辛くて、自分が役立たずの人間のように思ってしまうようなのです。


そこに拍車をかけているのが、係の人たちの当たりの冷たさです。忙しい係なので、分からないことがあって質問をしても、その人の知識をだーっと話してくれるだけで、到底、教えてくれているという感じではありません。でも、みんなそれに耐えて、潜り抜けてきている人たちばかりだったのです。


だからこそ、苦労を乗り越えてきた同士としての絆や空気という「共有感」が生まれていて、新人はそこに溶け込めないわけです。ある人は、それを「新人の必ず通る道」と表現していました。


負けてなるものか、と思いました。いや、負けません!

ケイタイを買った!

ガラケーだけど、1年半ぶりに携帯電話を持ちました。障害者なので、いろいろ割引してもらえて、びっくり。なんかちょっと申し訳ないくらいの気持ちです。でも、せっかくなので、ありがたく割引していただきました。

目標は大事!

このところ仕事でへこみっぱなしだった私ですが、非常勤嘱託職員研修に参加したことで、少し元気を取り戻しつつあります。


それというのは、同期の非常勤嘱託さん達の中には、私よりずっとラクな仕事をしている人もいたり、私よりずっと大変な仕事をしている人もいたりして、十人十色の環境に身を置き、働いていることを知ったからです。


私は、たぶん多くの人たちよりも、少しだけハードな仕事を求められているのだと気づき、そこに「プライドを持って働く」という気概が生まれたのです。


ただ、無意味なプライドは持つべきではありません。そんなことをしたら、一生懸命働いている多くの同期のみんなに本当に失礼なことで、プライドをどこに持つかで自分の幸福の度合いが決まってくるように思うのです。


だから、ただやみくもにあがいて働くのではなく、日々の目標をきちんと立てて、いつまでにどうなりたいか、というイメージを明確にしていこうと、ようやくそのことに気づきました。ちょっと遅かったような気がしますが、まあ、それだけの人間だということなのでしょう。愚直に受け止めようと思います。


今週は、自力でマニュアルを作成し、基本的な仕事をこなせるようになるというビジョンを描いています。せっかちなので、とかくミスを犯しがちな私ですから、まずはビシッとマニュアルを作っておけば、ミスは防げます。


そのあとは、イレギュラーな仕事、いわば特殊な案件にどう対応していけばいいか、という事例集を作ることです。細かな仕事の多い課に配属されたので、これはどうしても避けて通れない事柄です。


今月中には、この二つをしっかりと固めていこうと思っています。つまり、まずはざっくりと仕事の流れを理解し、次に、それぞれのパートを細分化していくという作業です。


中国語を勉強していたときも、そうでした。音声教材を聴きながら、まずはざっくりと意味を捉え、次に細かなところにも耳を傾けていくという手法です。中国語のときは、ディクテーションと言って、耳から聴いた音声を、一字一句間違えないように書きとっていく学習法がありましたが、仕事の場合は、先輩から一つ一つ丁寧に確実に教えてもらうことで、マニュアルを完璧に仕上げるという作業になります。


ちょっと気の遠くなるような作業ですが、私にはこのやり方が一番性に合っているように思うのです。なんせ、完璧主義で障害を負ってしまったほどの、ばかまじめ人間ですから…。

圧力か、期待か?

なぜか仕事が覚えられず、相変わらずみんなの足を引っ張っている感が強かったのですが、原因がわかりました。


私は、努力をしていなかった!!


障害のせいにして、60点取れればいいや、と思っていたけれど、私にとっての60点は、みんなにとっては、30点くらいにみえていたのかもしれません。


母にそのことを言うと、
「そうじゃなくて、みんなはアンタに期待しているんだよ。…ということにしておけばいいじゃない?」
ケセラセラな返事が返ってきました。


そりゃ、そうだけどね、お母さん。現場に出ると、なかなかそうは思えないもんなんだよね。

はじめての残業、そして一夜明けて…

昨日、はじめての残業がありました。夜10時まで働きました。ぐったり疲れて帰宅しました。いつもは9時から10時くらいには寝てしまうのですが、ゆうべは12時過ぎの就寝になってしまいました。おかげで朝から頭が重く、またまた出勤拒否の念が湧いてしまいました。


それでも、這ってでも行く、と身体に鞭打って出勤すると、なぜか課のみんなが優しいのです。今までは、自分から尋ねなければ教えてくれなかった仕事を、みんなの方から声をかけてくださって、教えてくれたりするのです。何がどうなったのか、さっぱり分かりませんが、係長辺りから、私に積極的に仕事を回すよう指示でもあったのかもしれません。


「EVERYDAY SOMETHING NEW ONE」を誓った私も、今日は、大きな収穫があって、他人の力を借りなくてもできる仕事が一つ増えました。とてもうれしくて、身体は本当にしんどかったけれど、充実感を得て帰宅しました。


今夜は早く寝ようと思います。


来週は、非常勤嘱託研修と、新制度によって事務手続きが変わるお仕事のレクチャーを私一人が受けることになりました。責任重大ですが、がんばります!