ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

バイキングと中国人

昨今、中国の都市部やちょっとした規模の街ですと、必ず1軒や2軒は、高級ホテルがあります。中国のホテルは、星5つでランク分けされていて、4つ星以上のホテルには、大抵「バイキングレストラン」があります。


問題になっているのは、このバイキング式の店での中国人のマナーです。海外のホテルで非常に中国人が毛嫌いされているのは、おそらくこの「バイキング」の使い方が中国人的過ぎるからなのではないか、と思うのです。


もともと食べることが大好きな国民ですから、バイキングが大好きで、狂ったように食べまくります。「食べなきゃ損だ!」と思うらしいのです。「食べ放題なんだから、いくら食べても同じ値段。食べないヤツは馬鹿だ」とまで言います。いや、ホント、みんな揃いも揃って、そう言うんです。


確かに、食べ放題なんですから、いくら食べたって文句は無いですが、その食べ方には問題があります。まず、大人数でドヤドヤとやって来るのが中国人の特徴。でも、一人ひとりがそれぞれ自分が食べる分だけ取りに行くなら良いのですが、仲間の分まで取ってくるんです。それも皿ごと根こそぎ持って行ってしまったりするので、レストラン側はびっくりします。中華バイキングなどですと、蒸篭に肉まんや蒸し餃子などを蒸かしていますよね。あれを蒸篭ごと持って行っちゃうわけです。
10人で来たら、蒸篭は5段くらい持っていかれます。


次に、「それは止めようよ」と思う行為ですが、取り皿に山盛りにして料理を取るんです。煮物・焼き物・蒸し物・生もの…どんな調理法であろうと、どんな味付けのものであろうと、いろんな料理を1つの皿にどんどん積み重ねていくんです。お魚のグリルの上に、野菜サラダをドバッとのっけて、上からサウザンアイランドドレッシング(中国人はサウザンの味を最近覚えました)をドバッとかけ、更にその上に、チキンの香草焼きをのせ、パスタをのせ……もうこれ以上積み上げられない、というギリギリの量になったら、ようやく満足して席に持ち帰ります。デザートだけは別物のようで、別の皿にこれまた山盛りにして持ち帰ります。料理を食べてから、後でデザートを取りに行くのではなく、最初から持ってきます。デザートは食後でしょ、と言うと、「知ってるけど、他の人に食べられて無くなってしまうと嫌だから」だそうです。


最後に、「それはやってはいけない」と思う行為ですが、これだけ取ってきて結局食べきれずに、大量に残して帰るのです。元々、中国の食文化の中に、「ホストは、客に食べきれないほどの料理を振舞う」というマナーがあって、貧相な食卓を恥とする概念があるんです。きれいに食べてしまうと、「料理が足りなかった」ということになってしまうので、客はマナーとして必ず料理を残します。高級店ほどその傾向は強くなり、ホテルのバイキングなどでリッチな食事をするのなら、たっぷり料理を取ってきて、たくさん残してあげないと、ホテルに失礼だと思ってしまうのでしょう。しかも、バイキングで残した料理を、持ち帰りたいと大騒ぎしたりします。これにも理由があります。中国の普通のレストランの場合、こうやって大量の料理が残るので、お持ち帰りが許されています。ほとんどのレストランでOKなので、バイキングに来ても、持ち帰りたがる困った人たちなのです。これは誰かが教えてあげなければいけない問題なのですが、なんせ13億人もいるので、全員に徹底させるには相当な年月が必要でしょう。


日本通のある女性のことなのですが、本当に日本人の生活に憧れていて、なんでも日本人のマネをします。マナーを覚えたいから教えて欲しい、なんて言われると、結構うれしいもので、私も事あるにつけ、彼女に食事のちょっとしたマナーを彼女に教えています。テーブルの上に食べかすやゴミを散らかしてはいけない、とか、食べきれる分だけ皿に盛ってくるように、とか、いろいろ教えてあげるのですが、彼女は大喜びですぐに実践してくれます。ところが、やっぱりいろんな料理を積み上げて来るんですね。味が混ざらないように料理を分けて、美しく盛り付けるというセンスは、マナーや知識では教えきれないことで、「ああ、道のりは遠い」と思いました。彼女に、「料理と料理の間を少し離すくらいの気持ちで、一品一品皿に盛るのよ」と教えたら、「私には出来ない〜」と泣きべそ顔をしていました。そりゃそうですよね。中華は、ジャジャーッと豪快に炒めて、皿に山盛りにして盛り付けるのが王道。たくさんの料理をご飯茶碗の上にのっけて、おまけに隣りの人のご飯茶碗にまでおせっかいにのっけて世話を焼きながら、ワイワイ食べる人たちですもの。


でも、来るべき食糧難の時代を乗り切る鍵は、中国人が握っているということをどれだけの人たちが認識しているでしょうか。一人っ子政策が何年も続いていて、迷惑をこうむっている本人たちが、食べ物の事情を考えられないのは、何も食文化の違いだけが原因ではないようにも思います。