ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

続・還真熱呀!

昨日の、“還真熱呀!”について、ちょっと勉強しました。


この“還”には、「まだ」という直接的な意味はないのではないか、と中国人。
「意外」な気持ちを表現する“還”なのだ、と。


それで、辞典で“還”について調べたところ、なるほど、ありましたありました。
一通り例文を読んでみて、途中で気づいたのですが、この“還”の用法、遠〜い昔、教科書の中で習ったことがあるような……。


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外国で生活しさえすれば、その国の言葉が話せるようになるわけではありません。日本人とばかり付き合って、中国人と接することなく毎日を過ごせる都市部では、何年たっても、聴き取れない、話せないという人が大勢います。


しかし、そんな生活をしていても、ある一時期だけでもいいから、日常生活できるレベルまできちんと言葉を学んだことがあるという人は、毎日の生活の中で、少しずつ使える表現が増えていくものです。


私はかつて、日本の中国語学校で中国語を勉強したことがありました。毎日毎日、50〜100くらいの単語を頭に詰め込んで、試験が終わるのと同時に頭の中から抜けていく、という1年間を過ごしました。教科書の本文を毎日10回ずつ音読して、10日間で丸暗記したり(つまり100回も読むと自然と暗記できてしまうわけです)、聴き取りの苦手だった私は、ディクテーションの試験の前に、試験範囲のプリントを連日睡眠不足になりながら丸暗記して、試験問題の音声より先に次のフレーズが出てくるという反則技で100点を取ったりしていました。


無理やり頭に詰め込んだものは、あっけなく忘れていきます。どんなシーンで使われる言葉なのかも分からず、ただ日本語とワンセットで詰め込んだだけの単語や表現は、活躍の場が分からないまま、放置され、風化し、そして覚えたことすら忘れてしまうわけです。もし、私が、今も日本で生活していたら、その1年間で覚えた膨大な数の単語や表現は、そのほとんどがお蔵入りしていたことでしょう。


ところが、中国で生活していると、今回のような「あ!これ、昔やったような気がする!」という再会のチャンスがめぐって来るのです。そして、こういう再会は、再会でありながら、実は、真の出会いだったりするわけです。つまり、生きた言葉として初めて認識できる新しい再会です。


昨日、ビルの入口で偶然耳にした中国語が、まさか自分の脳を一度通過したことのある中国語だったとは、あのときは思いもよりませんでしたが、「ああ、あのとき徹夜して覚えて、本当に良かった!」と心から思いました。そして、人間の脳の不思議に、驚いているところです。人の可能性って、無限大なのですね〜(ちょっと大げさですか。そうですか。そうですねw)。