ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

只管打坐(しかんたざ)

禅の言葉に、只管打坐というのがあります。ね? というか、私は最近まで知らなかった言葉なんですが、意味自体もあまり良くわかりません。


映画『禅 ZEN』の中の、道元禅師のセリフでは、「悟りを目的に坐禅するのではない。只管打坐、そのものが悟りである」とその意味を説明しています。

日常の生活を完全に離れ、今まで関わってきたものを全て捨てる。良いとか悪いとかの考えを全て捨て、考えること或いは悟ろうとすること、一切の意図や思いをめぐらすことを止めるのだ。これを、非思量と言う。悟りを目的に坐禅するのではない。只管打坐、そのものが悟りである。


私は坐禅も組まないし、悟りってナニ? という俗な人間なので、道元禅師の言葉を理解するには、程遠い存在ではありますが、なぜかこの言葉にとても惹かれます。


実は、私は「リラックス」「気分転換」と言った類のことが苦手で、うつ病まで発症してしまった、超緊張型人間なのですが、道元禅師のこのセリフを繰り返し聞いていたら、なんとなく、リラックスと気分転換のコツがわかった気がしたのです。


リラックスしたり、休んだりするということは、やりたくないことを全て忘れることなんじゃないか。


気分転換というのは、嫌なことから距離をおいて、やりたいことを思う存分楽しむことなんじゃないか。


いや、道元禅師がそうおっしゃったのではなく、私がふとそう思っただけなのですが…。


リラックスや気分転換が上手な方、この二つを言葉で表すとしたら、どう表現しますか? 私は自分なりの定義を紙に書いて、机の前に貼っておきました。ストレスの多い生活を、少しでも快適に過ごせるようにしないと、私はこの国に来たことを後悔してしまいそうなのです。自分で決めたことなんだから、自分で道を創っていかないとね。