ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

永遠の命があれば

人というのは、例えば、位人臣を極め、あらゆるものに満たされると、不老長寿を求めるようになるのでしょうか。中国のさまざまな物語を見ると、権力者は次第に「健康」に対して欲深くなっていくように思います。


有名な例では、秦の始皇帝が徐福を遣いに出し、不老長寿の妙薬を探しに行かせたなんていう伝説がありますね。


私は、永遠の命なんぞはもとより興味もなく、恐怖や苦しみにあわずに死ねればそれでいいので、この手の話にはあまりそそられないのですが、もし私に永遠の命が授けられてしまったら、こんなに毎日イライラせずに暮らせるんじゃないか、とふと思ったのです。


この日記で毎日のようにぼやいている中国人のマナーの悪さだとか、狡猾さだとか、そういうものにストレスを溜めるのは、私が2012年を中国で生きる日本人だからにほかなりません。仮に、私が数千年前の中国で生きる日本人だったら、この国の人たちから野蛮人扱いされていることでしょうし、逆に、数千年先の中国だったら、国境がどんな風になっているかも分かりませんし、そもそも日本なんて国はとうに存在していない国になっているかもしれません。…地球という星に人類が生きていれば、ですが。


今日、とあるイタリアンの店に行きました。ちょっと高級なお店です。中国人も英語を話す欧米人も日本人も、きちんと椅子に腰掛けて、禁煙ルールも守り、静かに談笑しながら、食事をしていました。イタリアンの店ですから、もっと朗らかにやっちゃってもOKなのですが、さすがに高級店のせいか、とても静かでした。もっとも中国人は地声が大きいので若干目立っていましたけれど…


ヨーロッパの人はわかりませんが、たぶん、カナダとかオーストラリアなどの出身で、自国の文化が曖昧な国の人たちは、中国に来ても、それほどストレスを感じないのではないか、と最近思うようになりました。古い歴史を持ち、その国特有の文化が育っている国から中国に来たからこそ、中国のいい加減さに辟易するのではないかと。


つまり、日本人は国際社会の中で、かなり順応性が低い民族と言えるかと思います。小松左京の『日本沈没』の古い映画の中で、「何もせん方がいい」というセリフがあったのを思い出します。日本が海に沈んでいく緊急事態に何をすべきか、という問いに対する、最も日本人的なアンサーだと思い、感動したセリフでした。


そんな日本を離れ、順応性が異常に低い私は、ここ中国で思い切りストレスを溜めまくり、怒鳴ったり切れたりしながら日々をやりすごしています。この国で大らかさを身につけられたら人生の儲けモンだと思ったりもしますが、そんな日は永遠に来ないような気もします。ただ、不老長寿に興味のない私ですから、うっかりすると、この国の好ましくない部分に感化される可能性は否定できません。どうも最近、物事を損得で考えがちなので、善悪で考えられるように意識していかなければならないなぁと反省しています。お天道様に顔向けできる生き方を誇りとしなければいけませんね。