ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

職人日本はグローバルスタンダードではない

パソコンのこととか、精密機械に関することが全く苦手で、普段興味もなく生きているので、この世界に精通した人と話をすると、いつもほとんど話についていけません。今日、ITおたくの李くんと話をしていて、大部分の話が私のキャパを超えていたので、ただ「うん、うん…」と適当に相槌を打っていたのですが、ちょっとだけ分かる話がありました。


日本のパソコン業界って、今や世界のパソコンの部品屋さんになっているんですか?! 韓国メーカーのパソコンなどが今、世界でとても売れ出していて、日本のメーカーのものは、もうそれほど人気を博していないんですか?


で、日本が唯一トップを独占しているのは、カメラとかビデオの世界だけで、あとは、世界のパソコンに組み込まれる部品を作っているのだと。つまり、外側は他国のブランドで、中身が日本製って聞いたのだけど、本当なのかなぁ。


なぜそんなことになっちゃったのか、私は私なりに考えてみたのですが、マイクロソフトさんとか、アップルさんなどは、やっぱり発想がダイナミックで、みんながあっと驚くような着眼点を持って、それを商品化しているんですよね。だけど、日本人の着眼点って、もっともっと精緻な部分に向けられていて、凡人にはなかなか理解できないような奥深いところで開花しているように思うのです。だから、外側は派手な他国のものに奪われ、内側でひっそりとやってる、というような気がします。


中国の人たちは、メカニカルな写真を使ったポスターに、「日本」と大きくキャッチコピーがついていたら、それは即「高品質、高性能の高級品」をうたったポスターなのだとイメージするそうです。あえて、高品質高性能と書かなくても、たった二文字「日本」と書いてあれば、共通のイメージが抱けるくらい、日本製品はスゴイと思っています。


それはとても嬉しいのですが、中国人はちょっと誤解もしています。日本人は神業のごとく、いとも簡単に高品質なものを作り上げてしまうと思い込んでいるのです。


私も仕事上、よくそのことで頭を痛めています。「このチラシ、中国人に作らせたら、とんでもなくダサいものができちゃったんですよ。日本人のセンスで作ってもらえませんか」と依頼されたりすると、私達はまず商品をよく知るために勉強をし、その商品の消費者ターゲットが誰で、どうやって売って行きたいか聞き取り、チラシのコンセプトを立て、そのうえで商品撮影をしたり、文面を考えたり、レイアウトデザインをしたりして、かなり手間暇をかけて作り上げていきます。ところが、中国人はそのプロセスに付き合う気持ちはサラサラなく、「そんなに難しく考えなくていいんです。普通にやっていただければOKなんですよ」と言うわけです。


そこで私達は大きなため息をつき、お客様に理解を求めるための説得作業に入ります。「日本人の広告がとても高く評価されているのは、この手間暇をかけているからなんです。あらゆる角度から商品を吟味して、マーケットを見定めたコンセプトを立てているから、良い広告ができるんですよ。そして、それは、特別なことではなく、これが私達の普通なんです。当たり前の仕事なんです」と説明します。すると、中国人は必ず、「日本人は細かすぎる。面倒くさいな」と言います。


永遠に交わらない二本の直線。クオリティというものが、一朝一夕に確立されるものではない、ということは、中国人が一番良く分かっているはずなのに、なぜかそこから目をそらそうとするのは、「楽をして金を儲けられる人が優れた人だ」という概念があるからなのだと思います。「苦労をして金を貯めるヤツ」よりも、「なんにもしないで金が入ってくる人」に憧れる、現代中国人。なんにもしないで金が入ってくるなんて、そりゃ、悪いことしている人に決まっているじゃないですか。で、悪いことって、小さな悪事は発覚しやすいけれど、大きな悪事ほど人は疑わないという法則があって、金儲けの手段はどんどんエスカレートしていくわけですね。これじゃあ、私達日本人とは永遠に交わらないわけです。


というよりも、交わった瞬間に、コロリとだまされるのが日本人、というのは火を見るよりも明らかです。日本人ほど世界から信用されている民族はいないでしょう。パスポート一冊で世界中どこへでも行けるなんて、日本人くらいなものですからね。そう考えると、私達の職人魂は、とても大切なもののように思えてきますが、それは決してグローバルスタンダードではない、ということは忘れてはならないように思います。