ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

捨てゼリフでストレス発散

最近、セキュリティ強化のために、私の住んでいるマンション1階の共用出入口がカードキーを使わないと出入できないドアに替えられた。マンションの住民委員会の方々が管理会社を動かした良い取り組みである。多くの住民が、カードキーを常に携帯し、出入の都度、きちんとドアを開け閉めする。住民同士は顔見知りが多いので、見知った人が後ろから来ると、ドアを開けたまま待っていてあげたりして、なかなか雰囲気も良い。「ありがとう」「いえいえ」という会話も聞かれるようになった。住民間の会話が増えると、防犯にも役立つものだし、おかげで最近、妙なセールスが極端に減った。


ところが、今日、この素晴らしい傾向に逆行するような不届きな婆さんに出会った。このドアの外にある集合郵便受けに夕刊紙を取りにきたのだが、カードキーを部屋に忘れてきたようなのだ。それで、ドアが閉まらないように近くにおいてあった「清掃中」という看板(よくトイレの前においてある看板)をドアにはさみ、ロックがかからないようにしたのだ。新聞だけ取って、すぐに戻ってくればいいものを、なぜかこの婆さん、郵便受けの前で新聞に読みふけっている。私は意地悪な気持ちになって、この看板を撤去してドアを閉めようとした。そうしたら婆さんは大慌てで、「わざと置いておいたんだから、閉めないでよ!」とすっ飛んできた。


中国人同士だったら、こういう場合、どうするのだろう。長年中国で暮らしているが、私には対処方法が全くわからない。以前は、こんな時、正面からぶつかっていた。「あなた専用のドアじゃない! みんなの安全を守るドアなんだから、勝手なことをするな!」と文句を言っただろう。しかし、こういうことを言われて、「はい、すみません」と素直に応じる中国人には、一人もお目にかかったことがない。「あんたに何の権限がある?!」「余計なお世話だ」と言われて、泥沼に陥るのが通常のパターンだ。


先達ても、エスカレーターを降りたところで、立ち止まっておしゃべりに興じているオバちゃんがいた。後ろにいた私は、エスカレーターを降り損ねて、転倒しそうになった。「きゃあ!」と日本語で悲鳴を上げたものだから、二人は慌てて避けていたが、別に謝罪するわけでもなく、おしゃべりの続きを始めやがった。このときも、私はどうしたらいいか判断できなかった。「こんなところで立ち話しないでください」と一言いえばそれで済むという人たちではないから、結局、そのまま何事もなかったかのように、立ち去ってしまったのだ。


イライラした気持ちを押し込めていると、それがいつしかストレスとして蓄積され、心を病む。ところがあるとき、見知らぬ中国人が似たような場面で、捨てゼリフを吐くのを目撃し、以来、私も彼に倣って捨てゼリフを吐く習慣をつけた。彼は中国語で罵声を浴びせて立ち去っていたのだが、これを日本人がやると、非常に見苦しい。かといって、日本語で罵声を浴びせても日本人の心証が悪くなるだけだ。それで私は、立ち去ったあと、自分にだけ聞こえる声で罵声をつぶやくことにした。かなり汚いセリフである。公共の電波では「ピー」になるくらいのNGワードだ。ささやかな抵抗ではあるが、これがすこぶる良いのである。たった一言、声に出して言ってみるだけで、実にスカッとするのだ。快感と言っても良い。勝ち誇った気分になれる。人間が小さいなぁ、と思わないこともないが、闘わずして勝った気分になれる唯一の方法だ。


セキュリティやエスカレーターの安全利用についての根本的な解決に役立つものではないが、少なくとも、自分自身の心の健康だけは保たねばならない。問題解決は、中国人がやってくれ。そこまで面倒みきれんよ。