ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

入り乱れる漢字

日本にいた頃通っていた中国語の学校には中国人留学生が学ぶ日本語クラスがあって、放課後になると良く留学生といっしょにおしゃべりに興じていました。いろんな話で盛り上がりましたが、今でも鮮明に覚えているのは、
「病院という単語がどうも馴染めない」
というご意見。


中国語で病院は、「医院」と言います。中国人からすると、病の院なんて余計に病気が悪化しそうだ、というわけです。当時私は、趣味の一環として中国語を勉強しているだけの生粋の日本人(笑)だったので、どんな大病院でも十把ひとからげに「医院」と呼ぶ中国語は、逆になんだか頼りないなぁ、と思っていました。


さて、これだけ長く中国で暮らしていると、中国語に対して“目が慣れる”という現象が起きてきます。この現象は、英語や韓国語など漢字を使わない国では味わえない現象ではないかと思うのですが、目が慣れると、日本語のほうに違和感を感じ始めるのです。今日、「病院」という単語に違和感を抱き始めている自分に初めて気づきました。確かに病が悪化しそうなカンジがすると、素直に思ってしまったのです。


目が慣れる現象は、日本の漢字と中国の簡体字との間にも生まれます。ひらがなやカタカナの無い中国ではすべてを漢字で表記するため、文字を書くという作業に相当な手間がかかります。ですから、中国人はビジネス文書の類であっても、重要書類への記入であっても、かなり雑な文字を書きます。とにかく一文字一文字ていねいに書いている人になど、お目にかかったことがありません。ただでさえ簡略化された簡体字を更に省略して書いたりするものですから、中国に来たばかりの頃は、人の書いた文字はほとんど解読できませんでした。それが今や自分自身もその習慣にならって、いい加減な文字を書くようになっているのですから、恐ろしいものです。問題なのは、日本語の文章を書くときに、うっかり簡体字を書いてしまうことです。仕事上、書類に「要確認」と赤文字で注意書きをすることが多いのですが、これが「要确认」の方が何画も少ないため、便利に使っているうちに、すっかり習慣化してしまいました。非常にへんてこな日本語です。


○○ビルという名前のビルは、中国語では「○○大厦」と書きます。ところがこれを日本の文字にすると「○○大廈」と書き、「厦」の字の上に、「、点」がつきます。日本語ワープロだとどうしても点がつくので、いちいち中国語ソフトに切り替えて入力するのですが、考えてみれば、わざわざ切り替える必要はないわけです。点が無いほうが日本語としては不自然なはずですから、そのまま点をつけとけば良いのに、中国在住の日本人には点が無い方が馴染み易いので、わざわざ中国語の簡体字に切り替えるというわけです。これも一種の目が慣れる現象と言えるでしょう。


一方、何年経っても間違える漢字もあります。私にとって、「調査」の「査」がそれです。中国語では、「查」と書くのが正解なのですが、どっちが日本語の漢字で、どっちが中国語の漢字だったか、わからなくなっているのです。だから私が書く調査の査は、いつも下の部分がぐちゃぐちゃと誤魔化してあります。いつだったか、中国人の友達が、「写真」という字を書くときに、訳がわからなくなると言っていました。中国語で写真は、「照片」なので、単語としての混乱はないのですが、「写真」の「写」は、「与」という字の最後の一角が突き抜けないのです。更に、「真」の字も、真ん中に三本横棒が入り、四本目が長くなります。彼女は、どっちが日本の漢字でどっちが中国の漢字か分からなくなるというわけです。


漢字を使う国というのは、ほかには存在しないですから、非常に局地的な言語文化摩擦(!)ですが、この摩擦が相互の言語を学ぶ者同士の笑い話のネタになっているところで、面白さがあるように思います。


さて、最後にちょっと余談になりますが、中国語を勉強している日本人同士でよく使われる便利な伝達手段があります。例えば、「コウカのカって、どんな字だっけ?」と言うと、「jieguoのguoだよ」と答えが返ってきます。jieguoというのは、「結果」の中国語読みで、コウカは「効果」と書くということを、一発で伝えられます。しかし、この話にはオチがついていて、彼は無事「効果」の「果」を正しく書くことができたのですが、「コウ」の字の方を間違っていました。中国語で「効果」は、「效果」と書きます。彼もまた、日本の漢字と中国の漢字がごっちゃになっている一人のようです。