ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

帰国困難者

おそらくこれは、中国に限らず世界のいろんな国々で起きている現象だと思うのだが、長い間海外で生活していると日本の生活に戻れなくなる人が多い。一度帰国しても、結局またその国へ戻ってきてしまったり、日本の本社から呼び戻されると会社を辞めてまでその国に残ろうとする人もある。


駐在員は多くが家族を持っているため、3年から5年の任期が終わると大抵帰国するが、独身者や家族との関係がうまくいっていないような人は、いくらでも海外にいられる。そのせいか、ある程度の年齢に達している人で、駐在員でない場合は、現地採用で就職したり、海外で起業したりして、ほとんど日本に帰らない。


実は、私がその一人である。40半ば、バツイチ独身。子供なし。親は兄弟が面倒をみているので、日本になんの束縛もない。好き好んで中国にやってきて勝手に生きているので、帰国するという人生の選択肢がほとんど頭から抜けている。中国で就いている仕事は、日本では激戦の人気商売だ。同じ仕事を日本でやろうとしても、おそらく入社試験をパスできない。それが、こちらではいともたやすく採用になり、日本人だと言う事でありがたがられ、そこそこ不自由のない生活が送れている。我が事ながら夢のようである。大した努力もせずに、なぜこんな夢のような生活ができるのかと言えば、40代前後の即戦力になる日本人の働き手が、当地にほとんどいないからだ。つまり、日本で主戦力となって働いている世代が、ぼこ〜んと抜けているのだ。


この就職氷河期に、就職活動に疲れ果て、良い大学を卒業しながらいまだ仕事経験のない若者が、当地に願いを託してやってくるケースも多いが、実はほとんど使い物にならない。私が働いている会社にも数名問い合わせがあったが、丁重にお断りした。ボスは履歴書に書かれた学歴を見て、「招聘したい」と言っていたが、メールのやりとりもおぼつかない日本人を呼んでも意味がない、と諭した。ボスも深くうなずいた。


ところが、60を過ぎ、定年退職あるいは早期退職後、中国に職を求めてくるオジサマ方は、長年のキャリアを活かして大活躍できる場がたくさんあるのに、今度はビザが下りない。就業ビザは現在当地では60歳を超えるとまず取得不可能なのだ。コネ社会の中国にあってもいかんともしがたい問題で、せっかくのお問い合わせがあっても、泣く泣くお断りすることになる。


社会人としてのスタートラインに立つ日本人の若者は、まずは日本で修行を積んでから中国に来て欲しい。日本のすぐれた技術力や人に対する気配りやサービス精神、礼儀正しさなどを徹底的に叩き込んでから、中国に渡るべきである。そうでなければ、日本人として海外で働く意味がない。ただし、老後の保障は何一つない。それだけは覚悟が必要だ。


そして、第二の人生を海外で過ごしたいと考える中年の方々は、50歳になったら中国に渡る決心をつけて欲しい。そうでなければ、生活に馴染むことも難しくなるし、ビザの賞味期限はどんどん短くなるばかりだ。


さて、60を過ぎ、いよいよビザが取得できなくなってしまった人たちが今どうしているのか。起業し自らが経営者になる以外にもう1つ道がある。留学生になることである。留学生用のビザは無敵の1年ビザで、航空券は学割になるし、午前だけ授業に出て、午後は自由に中国生活を堪能できるのだ。おまけに試験や宿題、予習・復習、学生間の交流会やスピーチコンテストへの出場など、なんだかんだと忙しく、「呆けているヒマがない!」とある爺様がおっしゃっていた。はつらつと楽しそうに若者達と机を並べ、100点取っただの、ピザ屋の食べ放題に挑戦してきただの、実に元気だ。


帰国困難者は正直者だ、と自負している。人生を楽しむすべを知っている。自分が選んだ道をわがままに進んでいて、死に方まで考えている。「まあ、人間、死ぬ時は死ぬんだし、どう死んだって構わない。今やりたいことを思う存分やってそれで死ねれば本望だ。葬式なんてやってもらわなくてもいいし、墓なんて要らん。長江にでも流してくれ」とか、言う。


私も、そうだ。「野垂れ死にしたって、全然構わない。検体にでも何にでも使ってくれ」と毎日毎日思いながら生きている。人間どこにいても、自分は自分。生きたいところで生きられれば、それがどれだけ幸せか、と思う。自分に何が向いているか分からないという若者が多いそうだが、何がやりたいかが決まらないのに何が向いているかなんて考えても意味がない。自分は何がやりたいかが決まらない、という人もいるが、そんなものは決める必要は無いと私は思う。何だってやってみればいいじゃん、と思う。人生やりたくないことだって、やらなきゃいけない事はたくさんある。いやむしろ、やりたくないのにやらなければならないことの方が多いくらいだ。でも、それとどう向き合うかが人生を楽しむということなんじゃないかな。失敗しないようにと親に大事に育てられた私は、ようやくこの年になって、「失敗したっていいじゃないか」と思えるようになった。そして、人生の中で、重大な決心をしなければならないときはどうすれば良いかという答えが、中国に来てわかった気がする。