ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

小学生にも出来るようなこと

私が住んでいるところは、中国の中でも比較的都会なので、ついつい忘れてしまいがちなのですが、中国って、とっても田舎でまだまだ貧乏な人たちが大勢暮らしています。今日食べるものにさえ困るような生活を送っている人、地域によっては飲み水の確保もままならないような人、重篤な病気にかかっても医者さえおらず(あるいは医療費がまかなえず)、おまじないに毛が生えたような民間療法にたより、命を落とす人も大勢います。


比較的発展した都市であっても、わずか10年〜20年くらい前までは、とても貧しい生活を送っていました。私が住んでいる都市の発展は、おおむね2000年あたりからで、ダムの放水のように一気に近代的なものが街を覆いつくしたため、庶民はその変化の中で精一杯の背伸びをしているように見えます。もちろん当の本人達に、背伸びの自覚はありません。私達日本人やそのほかの先進国の外国人から見て、そう見えるというだけの話です。


2000年以降、この街が発展したのは、北京オリンピックの準備に乗じて経済が刺激されたからです。それまで人々は、本当に貧しい暮らしをしていました。例えば、家に冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、テレビがある家など、ほんの一握りでしかなく、ほとんどの家は電灯とラジオくらいしか電気製品を使ったことが無いという生活をしていました。電灯も電気代の節約のために、ほとんど使用されず、夜は月明かりの下で夕涼みをしながら、ご近所さんと語り合ったり、将棋やトランプ、マージャンなどをして過ごしていました。子供は退屈なので、早々に床につきます。夕食は家の外にあるかまどで煮炊きするので、日が沈む前に準備し食べ終えるのが普通でした。だから、夕食後の時間をもてあますのです。スイカやトマト、桃、きゅうりなどを、手押しポンプの地下水で冷やし、デザートにしていました。デザートと言えば聞こえはいいですが、要は、暑さをしのぐための清涼剤だったわけですね。


ですから、私よりもずっと若い20代の子達でも、子供の頃の話をさせると、えらく大昔の人の思い出話のようなことを言います。私の親の世代が経験したようなことを、昨日のことのように語るのです。


さて、前置きが長くなりましたが、今日、ある中国人の男の子(24歳)が子犬をもらってきました。くたくたに薄汚れた子犬で、とてもおなかを空かせていました。たとえば、日本人の小学生がこんな子犬をもらったら、まず水を飲ませて、次に弱った子犬にも食べられそうな柔らかい食べ物をあげるでしょう。流動食のようなものを与えたり、あるいは、お小遣いで子犬用の離乳食のレトルトか何かを買ってきてあげるかもしれません。ところが、この中国人の男の子は、子犬を鳥かごに入れ、牛乳と油で炒めた卵を与えてしまいました。子犬は吐き下し、さらにぐったりしてしまいました。私達日本人は見るに見かねて、子犬を鳥かごから出し、首輪とリードをつけて逃げないように柱につなぎ、お椀に水をたっぷり張って、子犬の隣りにおきました。子犬は、自力で水を飲む元気もなく、鼻の頭も乾いてきていました。


「水なんか飲まないよ。さっきあげようと思ったら、顔をそむけた」
と彼。
「吐き下しているんだから、まずは水分を与えなければ死んでしまうよ」
「でも、栄養がないから、あげても意味ないでしょ」
「……!!」


私は、子犬の鼻の頭に水を数滴たらし、水があるよ、ということを子犬に知らせました。すると、子犬は弱々しく頭を持ち上げ、お椀のふちに鼻をこすりつけてきました。私がお椀を斜めにして子犬の口元に水を流してやると、ぺちゃぺちゃと音をたてながら、子犬はお椀の水を飲み始めました。水は驚くほどの勢いで減っていきました。一部始終を見ていた彼は、びっくりしていました。


家で瀕死の犬を飼い始め、生還させた日本人の友だちに見てもらうと、
「おなかが空いているだけだと思うよ。牛乳じゃなくて、子犬用の餌をあげないと、またおなかを壊す」
と言っていました。それから、シャンプーをしてやらないと、どんな病気になるかわからないから、明日、犬用のシャンプーを持ってきてあげると言ってくれました。たらいにぬるいお湯に入れて、その中で洗うように、中国人の彼に伝えました。


犬なんて飼ったこともない若者。自分たちが食べていくことに必死だったから、子犬を育てるなんて、どうしたらいいのか全然わからないけれど、かわいいから貰ってきてしまう。彼が子犬を入れていた鳥かごは、去年、人から貰ってきた文鳥を買っていた鳥かごでした。その文鳥も1ヶ月ばかりで死んでしまったそうです。きっと、小鳥の飼い方も知らずに、かわいいというだけで貰ってきたのでしょう。


私達日本人が、当たり前のように出来ることでも、彼らには出来ないことがあります。それは仕方がないことですが、この子犬があまりにも可哀相で、つい手出しをしてしまいました。一生かわいがってあげる覚悟もない私が、余計なことをしたのかもしれません。ちょっと複雑な気持ちです。