ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

仕事と恋とうつ病

私の病気は、「うつ病」だった。心療内科に世話になる病気であることは間違いないと思っていたが、まさかホントにうつ病だったとは驚きだ。


抗うつ剤の内服を始めて、しばらくは副作用に苦しんだ。医師が事前に告知してくれてあった副作用がすべて現れた。


まず、どーんと体と頭が重くなり、横になっていないとしんどくて仕方ない。何もやる気がおきず、ただ横たわるだけの毎日。常に悲観的なことばかり考えてしまい、死ぬことを考える。死にたいなどとは爪の先ほども思っていないのに、なぜか死ぬことを考えてしまうのだ。だから、ソファに枕とふとんを持ち込んで、ごろごろしながら、映画やドラマをぼんやり見続けた。何か見ていると、余計なことを考えなくて済むからだ。「踊る大捜査線シリーズ」は全部見た。三谷幸喜の映画やドラマ、舞台作品もすべて見た。また、テレビ局の開局記念ドラマなども片っ端から見た。一日が、ドラマと映画の中で終わっていく。食欲はゼロ。体は正直なので、おなかが空いてグーグー鳴りっぱなしなのだが、一向に食べたくない。日本から送られてきたフルーツ蜜豆の缶詰を開けて、どうにか生きながらえた。睡眠と覚醒のリズムが、めちゃめちゃに狂い、今が昼なのか夜なのかさえ分からない状態になる。シャワーさえ浴びる気力がなく、着替えもせず、部屋は日増しに汚れていく。大したことはしていないのに、ゴミであふれ返った部屋で、じっと息を潜めて横になる毎日。


抗うつ剤は、体に馴染むまでに時間がかかる。しかし、効果が現れる前に、副作用だけが先に出てしまうので、こういうことになるのである。内服開始から3日目に、ちょっと外へ出てみようか、という気持ちが起きた。重い体を無理やり起こし、シャワーを浴びて、着替えをする。行き着けのレストランまでタクシーで移動。なんだかフラフラして、目の焦点が合わない。3日ぶりの食事で、雑炊を注文したが、3口ばかりしか食べられず、持ち帰らせてもらった。これを、翌日、一日かけて食べた。


内服開始から1週間。泥沼にはまり込んだような副作用が消え、全身が軽く意識が戻ってきたような感覚が突然起こった。「抗うつ剤が効き始めたんだ!」とすぐに分かった。もう死にたいなんて、全く思わなくなり、悲観的思考も長時間つづかない。面倒くさくなるのだ。それより何か体を動かしたい欲求にかられ、家事を気の向くままにゆっくりとこなし、ときどき外に出て散歩したりするようになった。


それから更に1週間。ときどき、胸をしめつけるような不安感や興奮状態が襲ってくるが、抗不安薬を服用すると、30分ほどでおさまる。これならもう仕事ができる、と確信した。


しかし、医師はもうしばらく休養したらどうか、と勧めてきた。うつ病は再発しやすい病気で、しっかりと心の休息をとらないと、職場復帰してもすぐにまたぶり返す可能性がある、というのだ。それよりも、今、この時期に、のんびりとやりたいことだけを気の向くままやって、できないことはやらない、という気ままな毎日を過ごすことで、これからの仕事の滑り出しが順調にいくなら、思い切って休んでしまおうと思った。仕事は5月末まで待ってもらうことにした。


今の私は、体力づくりに余念がない。一日に2〜3時間ウォーキングをし、ヘトヘトになることが快感になっている。


うつ病の原因は一つではなかった。仕事上での人間関係や、恋の悩みや、異国で暮らすストレスなど、いろいろなことが複雑に絡まって、うつ病を発症した。その一つ一つに向き合う必要はないと思うが、自分自身の内面と向き合う必要があった。そうしなければ、私はまたこの病気を繰り返すはずだから。


私は、傲慢だったと思う。生真面目すぎたと思う。神経質で嘘つきで、いくつもの顔を持っていた。そして、なにより、他人を信じない。「ありがとう」という言葉を、心の底から言えたことが何回あるだろうか? 「ごめんなさい」という言葉を、涙を流しながら言ったことが何回あるだろうか? せっかちで、のんき。やるべきこととやらなくてもいいことの見極めが下手。なんでも完璧にやろうとする。人に多くを求め、自分にも厳しい。そして、甘い。人から甘やかされたいといつも考えていて、ずるい。そういう自分が、どうして出来上がったのか、それは私の生い立ちにあることが、はっきり分かった。なんだ、そんなことが理由だったのか、というような簡単な原因だった。でも、そんな簡単な原因でも、今更過去に戻ってやり直すことはできないわけで、この事実を乗り越えない限り、私は、同じことを繰り返すのだ。


もちろん、にんげんだもの、同じ失敗を繰り返したっていいのさ、と思う。だけど、そこから先のリカバリー力だけは、今回の病気を機に身に付けていきたい課題として残った。


好きな人に、「私、うつ病だって」と言ったら、連絡が来なくなった。うつ病の女となんか付き合いたくないという意思表示なのか、それとも、うつ病の人と会話するのが怖いのか、なんだか良くわからんのだ。いつもの私なら、とことん彼を問い詰めて、「どうして?どうして?」を連発していただろう。でも、もうそんなことはどうだっていーのだ。


仕事のことを思うと、急に不安感が襲ってきて、手が震える。汗をかく。しかし、「まあ、どうにかなるだろ」と声に出して言うと、急に落ち着く。心因性の息苦しさなのだ。脈拍数が全くあがっていないのがその証拠。うつ病とはすごい病気だ。


かくして、私は現在、うつ病と闘う日々なのだが、はっきり言って、こんなに楽な治療はない。遊んでいればいいのである。難しいことは何一つ考えず、やりたいことだけやってればいいのだ。途中でイヤになったら、やめちゃっていいのである。一日中ごろごろしていようと、24時間ぶっつづけでドラマや映画を見まくっていても、それが治療なのだ。


日記療法というのがあるそうで、私は医師から書くように勧められて、毎日これを書いている。薬の服用時間と用量。睡眠と覚醒の24時間表。そして、そのほか考えたことや、症状などを綴っていくのだが、これが、面白い。あんまり書きすぎると、うつに嵌っていくだけなので、匙加減が難しいのだが、これを書いていると、自分が回復していることが手に取るように分かる。


副作用で苦しんでいたときの自分。その後の自分、最近の自分と、確実に元気を取り戻してきていて、あと少し心に掛けた鍵を開くことができたら、私は完全復活できるだろう、という手ごたえがある。うつ病は一進一退。昨日はあんなに具合が良かったのに、今日はだめ、ということが良くある。でも日記をさかのぼって読むと、「だめじゃない!」と気づくことができる。それが大事なことなのだ。


抗うつ剤の副作用に負けて、医師が信じられなくなり、治療を放棄してしまう人も多いと聞くし、抗うつ剤が効き始めて、「治った!」と勘違いし、無理を強いてまた病んでしまう人も多いらしい。また、抗うつ剤をやめるタイミングで、躊躇し、なかなか前に進めない人もいると聞く。


私はとりあえず第二段階まで進んだと、満足している。あとは、ゆっくりと社会復帰して、薬と付き合いながら病気を楽にしてあげて、いつか完全に治る日まで楽しく面白く生きればそれでいい、と今思っている。


うつ病は、そんなに悪い病気じゃない。自分自身と向き合うための良い休暇がもらえて、神に感謝!だ。