ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

青春の教訓

午前中、骨董街に出かけた。店先に引越しガラクタのような安い磁器だの、ヒスイだのが並んでいると聞いていたので、期待していたのだが、全然引越しガラクタじゃなかった。さすが中国といわざるを得ない、年季の入ったものばかり。


刺身を食べるときに使う、日本で言う、小さな醤油皿のようなものが、半端物で2枚置いてあった。醤油皿として使うには、若干小ぶりだが、その小ささが却って可愛らしくて、値段を尋ねた。2枚で200元と言われた。1元=15円換算で、3000円もする代物だった。「いつの時代のもの?」と聞いたら、「清ですね」とあっさり答える。そんなもん、店頭で野ざらしにしておくなよ、と思ったが、店内に置いてあるものは、さらに古い時代のものばかりで、ため息が出た。ここは、日本のフリーマーケットじゃない、と目が覚めた。


バブル期に青春時代を過ごした私は、いわゆる「お嬢様ブーム」の渦中で「お嬢様」を演じるファッションを楽しんだ世代だ。当時私は、ヨーロッパのお嬢様より、日本の旧家のお嬢様風情にあこがれて、「和」の匂いのするものに片っ端から手を出した。着物の着付けを習って、お茶やお花をやって、懐石を食べ歩いたり、歌舞伎を見に行ったりした。そんな中で、唯一、敷居が高かったのが、骨董屋だった。お嬢様もどきは、所詮、ビンボー人なのである。骨董なんか買えるわけがない。


ところが、「見て歩き」の骨董趣味というのもまた面白いもので、冷やかしで骨董屋へ入る。すると、店主の方は百戦錬磨だから、店に入った瞬間に、私のことを「エセお嬢様」であると一発で見抜く。この辺も、目利きである。しかし、骨董屋なんかやってるオヤジというのは、基本的に鷹揚で、物事を楽しむすべをよく心得た人が多いので、「エセお嬢様」相手でも、それなりに面白おかしく構ってくれるのだ。


明治時代の料亭で使われていたであろう蕎麦猪口だの、戦前のお猪口(こちらはお酒用)だの、大正時代の八寸だの、数百円から千円そこそこで買えるようなものを勧められては、気の向くままに買い集めていた。「○○時代」と言われると、素人はそれだけでうれしいのである。昭和のものでも、「戦前」と言われただけで、「なぬ?!」と反応してしまうのである。


ところがである。買うときは、若干興奮状態にあるものだから、まったく気づかないのだが、こういうものを家に持って帰ると、それだけが異様に浮くのである。『non-no』なんかのインテリアページの影響を受けて買い揃えた家具に囲まれて暮らしているのだから、当たり前である。蕎麦猪口は湯のみがわりに使おう、と思って買ったのに、結局使い慣れたマグカップしか使わない。お猪口は、イヤリングを入れよう、なんて考えていたのに、実際に入れてみると、やけに貧乏くさくなる。大正時代の八寸に至っては、一人暮らしの狭苦しいアパートの面積に対して、ほとんど無駄とも言うべき大きさで、収納スペースを確保するだけで一苦労。こういう失敗を3回ほど経験して、以来、骨董屋を覗くのもあきらめてしまった。青春とは得てしてそういうものだ。


今日、私が、くだんの骨董街から手ぶらで帰って来られたのは、青春時代の教訓のおかげだ。実は最近、勢いで会社を辞めたことで、「私って、いい大人になっても、子供の頃から根っこはちっとも変わっていないなぁ」と自分にあきれていたところだったのだが、ちっとは学習能力が備わっていることに気づき、今日は、自分を褒めてやった。