ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

入口は、みな、同じなのに

最近、日本から赴任してきた、若い日本人駐在員さんと昼食。


「yueyaさん、いよいよ中国語できないと、まずい状況になってきましたよ」
「どうしたんですか」
「実は、来年、カミサンがこっちに来ることになって」


奥様は、来年の渡航を前に、この国慶節に予行練習のつもりで、1週間中国に来た。どうやら割におとなしい方のようで、なんでも彼の言うことをよく聞く。国慶節中も、何日か仕事で家をあけざるを得なかった彼は、


1)留守中に誰か訪ねてきても、ドアを開けてはいけない。
2)近所をちょっと散歩するくらいならいいが、あまり遠くへ一人で出かけてはいけない。
3)パスポートは肌身離さず持ち歩け。


と彼女に告げた。


彼女は、掟をよく守り、


1)誰かが訪ねてきても、息を押し殺してまで居留守を使い……
2)マンションの隣にある携帯電話屋まで歩いてみて、怖くなったので、すぐに走って帰り……
3)パスポートをストラップ付きのホルダーに入れて、首からさげてシャツの中にしまって……
 
生活していたらしい。


「好奇心旺盛で、あちこち勝手に歩き回られるより、安心といえば安心なんですが、ボクがいないと一日中、家にいるんで、かわいそうなんですよ」
「何をなさってるんでしょう」
「昨日は、たくさんお昼寝をしたと言ってました」


「で、Tさんが、中国語をやらなきゃいけなくなったことと、どんな関係が?」
「いや、そんなカミサンなんで、ボクが休みの日くらい、どっかへ連れ出さないと、ずっと引きこもっちゃうからマズイわけなんですよ」
「ところが、亭主の中国語力がゼロだと、行動に限界がある、と?」
「そうなんです。それに、何かトラブルがあったときも、守ってやれないですし」
「なるほろ〜( ・。・)」


彼は、どんなところから勉強を始めたらいいのか、と私に聞いてきた。


「どの程度できるようになりたいかにもよると思いますけど、トラブルからカミサンを守りたいという高い目標をお持ちなら、やっぱり基礎からしっかりやることでしょうね?」
「やっぱり、そうですか……」
「もっと、一足飛びに、ぽーんと、喋れるようになりたいんですね?」


そんなの無理ですよね、と控えめながらも、とりあえず日常よく使うフレーズの丸暗記から入りたいらしい。


「差し迫って必要なのは、買い物のときの不自由を克服することなんですが……」


と言いながら、彼はテーブルの上の紙ナプキンにボールペンで、


○これは何ですか?
○いくらですか?
○高いですね。
○安くしてください。


と書いた。
「まず、これを今、教えていただけませんか?」


私は、この日本語を、もっとも短い中国語に訳して、上にピンインを書いた。そして、下には、カタカナで読み方を書いた。


「ホントは、カタカナに頼らないで、ピンインを覚えたほうがいいと思うんですが、切迫してらっしゃるんでしょ?」
「はい、切実な問題です! パンの中身を知るのに5分かかったんです」


発音してみてくれ、というので、ゆっくりはっきり言って聞かせたのだが、のっけからリピートできない。
「うわ、めちゃくちゃ難しいですね〜」
「ええ、発音たいへんですよ。でも、この4つのフレーズは、どんな会話のテキストを見ても、最初の数ページで勉強するフレーズです。入門中の入門ですから、がんばって覚えてください」


彼は、口の開き方や、舌の位置、息の吐き方、音の高低などを、言葉で説明しても、あまり興味を示さない。英語=外国語という固定観念が強く、少々いい加減な発音でも、聞き取ってもらえるという頭があるようだ。


「Tさん! 中国語レベルが半人前の私が申し上げるのもなんですが、中国語は、発音と抑揚のダブルパンチの言語です。雰囲気だけで覚えても、通じるもんじゃありません。日本人の中国語に慣れた中国人には、かろうじて聴き取ってもらえるかもしれませんが、一歩街に出たら、露骨に嫌な顔されますよ」
「ああ、わかります。よく舌打ちされます、ボク」


彼は、自分が英語を学んだのと同じ調子でやれば、この4つのフレーズくらいなら、この昼ごはんの時間にマスターできると思い込んでいたらしい。


「ボク、こんなことも自分で伝えられないんですね〜。ショックだなぁ。っていうより、甘かったなぁ。中国語がこんなに難しいとは、思ってもみなかった」
「何をおっしゃるんですか。トラブルから奥様を守ってあげたいなら、“いくらですか?”くらい言えるようにならないと!」
「トラブルを金で解決って、意味ですかw?」
「ああ、ある意味、その解釈、正しいかもしれないですねw」


発音のセンスはなくとも、中国で生きていくセンスは、どうやらお持ちのようだ。