ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

トイレの話はつきませんが……厠所没有門!

中国のトイレには、ドアがない。


確かに、一昔前までは、割とどこのトイレにもドアがありませんでした。まず、トイレ自体が個室になっていなかったり、ただ溝があって、そこを跨いで用を足したり、穴だけだったり、そういうトイレも以前はたくさん見かけました。もちろん、今も、ちょっと田舎へ行けば、こういうトイレは山のようにありますが、いつの頃からか、都市部では、私たち日本人が見ても、一目でトイレとわかるような、近代的なトイレに変わりました。


ところが、変わったのはトイレの方だけで、使う人が変わったわけではありません。そもそもなぜトイレにドアが必要なのか、わかっていない人々が多いので、時として、ドアがドア本来の目的として使われていないケースにぶち当たります。


ドアノブにバッグを引っ掛けておくというのは、誰もが考える使い道でしょう。ある人は、トイレの中で携帯で話をしていて、ドアに相手から聴き取った電話番号とか名前とか、待ち合わせの時間、場所などをメモしたりします。あ、書き忘れましたが、日本では和式の個室の場合、ドアを背にして用を足すのが習慣ですが、中国は逆です。ドアの方を向いて、しゃがみます。だから、メモするのにちょうどいいわけです。


そのほかに、タバコの火をもみ消す灰皿がわりとして(もちろん吸殻は便器の中に浮いています)、道で踏んじゃった犬のウン○や、噛み終わったガムなどが、付着していたり、ひどいときには、鼻○そなんぞも、付着している場合があります。ちなみに私は女子トイレユーザーですので、これはすべて女子による仕業です。


もののついでに、ドアとは関係のない赤裸々な事実も明かしますが、生理用品などをペーパーにくるんで捨てるということは一切しません。中国のトイレは、水洗でも、トイレットペーパーですら流すことができないことがよくあります。ですから、そういうトイレの場合は、個室内に、ふたのない、中型のゴミ箱が設置されています。そこに、ペーパーも生理用品もすべて捨てるわけですが、ナプキンの使用済み部分が、こっちを向いて捨てられているわけです。せめて、ひっくり返してくれよ、と言いたくなります。そして、なぜか、便器がやたら小さいので、糞尿経血などが、便器内に収まらず、周囲に撒き散らされていることもしょっちゅうです。


閑話休題


俗に言う、「ニーハオ・トイレ」。ドアがなく、みんな、こっちを向いてしゃがんでいるので、そう呼ばれていますが、ドアがちゃんとあっても、ニーハオ状態で用を足す人も結構います。比較的、ニーハオでしゃがんでいる人は、おばちゃんやおばあちゃんですが、これが実は、10代20代の若い女の子でも、ニーハオだったりすることがあります。


日本人としては、そういうシーンに出くわすと、なんとも間の悪い思いをするのですが、悪がっているのは、実はこちらだけで、本人はけろっとしています。まあ、当たり前です。


一番困るのは、ドアはあるのに、鍵がすべて壊れているときです。もともと、鍵などの細かいパーツをたくみに取り付ける技術が低いので、簡単に壊れるのですが、そもそも鍵なんぞ必要のない人たちなので、壊れていても、ちっとも修理しようとしないのです。そういうトイレに当たってしまうと、手でドアを押さえながら、用を足すしかありません。片手しか使えなくなるので、とても不便です。時々、必死におさえているドアを外からこじ開けようとする人もいるので、さらに厄介です。いっそ、手放し全開状態で用を足したほうが、注目を浴びずに済むようにも思います。


ドアのないトイレに、日本人の友達といっしょにトイレに入ってしまったときも厄介です。そういう場合は、仕方がないので、がまんするか、交代で入ります。そうでないと、日本人としてのアイデンティティーを失うことになります。


今日も、職場に、中国のおばちゃんたちがお客様として大勢いらっしゃり、皆さん、揃いも揃って、ドア全開でオシッコしていました。でっかいパンツをずり下ろしながら、世間話。
「今日は、ちょっと涼しいけど、明日はまた暑いらしいわよ〜」
「あら、そーおー? 寝苦しいのは、イヤよね〜」


って、見苦しいってば、おばちゃん!