ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

エレベーターのマナー

今朝、あるオフィスビルのエレベーターに乗りました。おりしも、出勤時刻に重なっていたため、エレベーターホールは大混雑していました。


いくつかエレベーターを見送ったあと、ようやく私も乗れそうな気配になりました。ところが、中国人お得意の「割り込み」があって、私はボヤボヤしていたものですから、結局、最後から二人目でエレベーターに乗りました。すると、外でスタンバイしていた係員が、
「定員オーバーですから、降りてください」
と言います。


割と人のよさそうな太っちょのおじさんが、まず降りました。それでもまだエレベーターのドアが閉まりません。


「偏って乗らないで、平均的に乗ってもらえますか」
と係員。


皆、周囲の人との間に隙間をあけます。


それでもまだダメ。


「もう一人降りてください」
と係員。


今度は私が降りました。当然ですよね。私は最後から二番目に乗ったのですから。


それでもまだドアが閉まらない。


「もう一回、ちらばって!」


それで、ようやくドアが閉まりました。


*****


次のエレベーターが来ました。今度は、すぐに乗れました。


しかし、案の定、また定員オーバー。


「降りてください。2人くらい!」
と係員。


一人は、すっと降りたのですが、もう一人がなかなか降りません。
どう見ても「アンタ」が降りるべきだろうと、ドアのまん前に陣取っている若い女の子の横顔を、誰もが凝視しています。


「降りてください!!」
と係員が声を荒らげます。誰に言うでもなく、全体に言っているだけだから、彼女はツンとしています。


「誰か、急いでいない人、降りてくれませんか」
と乗客の一人が言いました。
「じゃ、オレが降りるよ」
とエレベーターの真ん中あたりに立っていた男性が、名乗り出ました。


降りるべきだった彼女は、ツンとすましたまま、そっぽを向いていました。そして、男性が降りようとするときでさえ、道をあけようとすらしませんでした。


ドアが閉まって、エレベーターが動き出しました。


「マナーのない子ね」
と誰かが小声で言うのが、聞こえました。


中国人は、一般的にマナーに欠けると言われています。それは、中国人の自己中心的思考特性によるという理由と、さらにもう一つ、社会のルールとしてのマナーの概念が、まだ未成熟だから、という理由によるものだと思います。


都市化が進み、至る所にエレベーターがあり、公共交通機関が発達し、車の台数も激増するなか、都市としての新しいルールが、新しいマナーを作り出すでしょう。今は、その過渡期にあります。だから、同じ中国人であっても、人を不快にさせない人と、思い切り不快にさせる人が、当たり前に混在しているのです。


また、人を不快にさせるようなマナーのない人のなかにも、二種類の人がいます。ひとつは、マナーという概念が分かっていない人。これは、ある部分、仕方がありません。その人の日常生活に、マナーが介入できないような、そういう暮らしをしている人たちです。はっきり言ってしまえば、お金のない人たちや、ある限られた社会のなかで生きている人たちです。そういう人たちは、そういう人たちの間にあるルールを守って生きていけば、特に困ることはなく、時折、都市部に出てきたりすると、ちょっと浮いた存在になりますが、周囲の人たちも、ある程度、黙認しています。


もう一つの種類の人。これが問題なのです。マナーの概念は分かっているのに、それを守ろうとしない人たちです。自分とは関係ない、とツンとすましている人たち。まさに、今朝のエレベーターの彼女が、それです。決して、利口な人とは言えません。周囲との調和を乱すことに、何のストレスも感じていないかに見えますから、「ジコチュー」そのものです。


残念なことに、若い世代の人たちに、こういう人が結構いるのです。それが、本当に根の深い問題として、これからの中国の発展に影響してくるのではないかと、思います。


日本人は、マナーの権化です。やりすぎくらい、マナーを重視しますね。エレベーターが着くと、外で待っていた人が、さっと一斉にドアの左右に分かれ、まず降りる人を優先して、降ろします。しかも、その階で降りる予定のない人でも、道をあけるために、いったん外に出たりしますね。中国でこれをやると、「降り損」になることがあります。外で待っていた人が、割り込んでくるので、わざわざ気を利かせて降りた人が、乗れなくなることがあるのです。


また、日本人は、最初にエレベーターに乗った人が、「開」ボタンを押して、乗る人を迎え入れたりしますよね。重量オーバーでブザーが鳴ると、最後に乗った人が、恥ずかしそうな顔をしながら、すっと降ります。「閉」ボタンを押すタイミングにも、マナーがあるとか。早く閉めれば良いというものではない、という概念が、すでにマナーの権化たるゆえんと言えるでしょう。


こういう国から、中国に来ると、日常生活のすべてが、ストレスになります。解決策は、「気にしないこと」しかありません。人は人、自分は自分、と考えないと、いつもイライラしていなければなりません。「こうあるべきだ!」という意識の強い人は、あまり中国での生活には向かないかもしれません。実は、私自身、少しそういうきらいがありました。でも、ずいぶん鍛えられたように思います。


そして、私は、このブログを書くことで、中国人と日本人の違いを頭のなかで整理して、日々のストレスを解消しているようにも思います。なぜなのか、ということを考えて、一応の結論を自分なりに見出しておかないと、消化できない国。それが、私にとっての、中国です。