ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

中国語学習の最大の敵「おばちゃん」という生き物

中国語力は、たいしたことないが、
どうにか生活している。
暮らしだして、もう3年半になる。


言いたいことがどうにか伝わる。
やりたいことがどうにかこなせる。


まあ、俗に言う、
「日常会話レベル」というヤツだ。


2年くらい前までは、
「旅行会話レベル」だった。
その前が、
「挨拶レベル」だったわけで、
そう考えると、
「日常会話レベル」に居座っている期間が、
やたら長い気がする。


中級の終わりくらいの感じといえば、
国語学習者には分かりやすいだろうか?


私が中国語が得意でないということを理解してくれている中国人が、
気を使いながら話してくれれば、
事の大意は掴める。
つまり、会話の相手を選ばないと、
まったく聴き取れないこともある、
という状態だ。


自分の語学力を棚に上げて、
こんなことを言うのは、失礼な話だが、
私と会話ができる人というのは、
ある程度、言語能力が高い人でなければならない。


タクシーの運転手などでも、
「この人は、愛想はいいが、言語能力低そうだな」
という人とは、ほとんど会話が成立しない。
こちらが分からないと言っても、
同じ言葉しか繰り返さないからだ。


反対に、同じ運転手でも、
「頭のキレそうな人だな」
という人とは、とても楽しく会話ができる。
こちらが分からないだろうと思われるような表現は使わず、
やさしい言い方で話してくれるからだ。
だから、たわいない冗談なんか言って、
笑ったりすることもできる。


ところが、いくら頭の回転がいい相手でも、
そうはいかないときもある。
言いたいことを全部言わないと気がすまないような、
おばちゃんドライバーに当たったときだ。
いや、ドライバーに限らない。
ほとんどの「おばちゃん」と言われる生物は、
このカテゴリーに分類される。
これは、何も中国人に限った話ではない。
世界共通である。


おばちゃんは、言いたいことをまとめてから、
要点を話すということができない生物である。


「夕べの雨ひどかったでしょう? 
もう、渋滞にはまっちゃって、
にっちもさっちもいかなくて、
まあね、お客さんでも乗っけてれば、
こっちも商売だし、
多少渋滞にはまったってしょうがないか、
で済むんだけど、
お客さんが乗ってなくて渋滞にはまると、
もう、お手上げ。
信じらんないでしょ?
一つの信号通過するのに、20分よ!
20分!
途中で、息子から電話がはいって、
“お母さん、何時に帰ってくるの?”
っていうからね、
“何の用?”
って言ったら、
“飯、買ってきて”
なんて言うし。
息子も、雨の中、ごはんを買いに行くなんて、
嫌だって言うのよ。
しょうがない息子でしょ?
でも、車、動かないしね。
がまんしなさいって言ったんだけど、
こっちは、それどころじゃないわけ。
あの雨だから、車故障したら、
もう一発でお手上げだからね。
いえ、別にホントに故障したわけじゃないわよ。
故障したら、まずいな、って話。
でね、しかたないから、
信号待ちしている間にも、エンジン切れないのよ。
ひどい渋滞で、長いこと止まったままなんだから、
エンジン切りたいな、って思っても、
一度エンジン切って、いざ走り出すときに、
かからなかったら困るでしょう?
怖いわよ。あんな雨の中、故障したら。
牽引頼もうにも、頼めないからね。
それで、ずっとエンジンかけっぱなし。
ガソリンは食うし。
それに蒸し暑いから、エアコンもかけてるんで、
余計にガソリン食うわけ。
わかる?
あなた、免許持ってる?」
「???」
「持ってないでしょう?
車乗り始めると、節約考えるようになるわよ〜。
だって、渋滞して止まってたって、
お金かかるんだから。
わかる?
止まってるだけで、お金かかるのよ。
道にお金ばらまいてるようなもんよ。
でしょう?
わかる?」
「???」
「まあ、免許持ってない人に言っても、
わかんないわよね〜」
「???」
「……」
「……」
「で、お客さん、どこまで行くんだっけ?」



私の語学力がいくら高くても、
こういう人の話は、
おそらく何一つ、わからないだろう。