ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

素の中国人、素の日本人

日系企業で働いているので、
私の同僚の中国人は、皆日本語が上手。


彼らが中国人であることを忘れてしまうくらい、
こぞってウマイ。


全員、5年以上の日本在住歴を持っている。


それでも、彼らが、
「ああ、やっぱり中国人なんだな」
と感じる瞬間は、日に何度かある。


仕事のやり方や考え方のちがいなどを通して、
「中国人」を意識することも多いが、
もっと決定的に、五感で感じることがある。


見た目は、ほとんど変わらない。
留学生活も5年くらいになると、
ファッションなんかは、まったく日本人だ。


匂いも、完全ローカルな中国人とは、
ちがう匂いだ。
毎日シャワーを浴び、髪を清潔にし、
衣服も毎日換えてくる。
ブランドの香水をふわっと漂わせているような人は、
みんな“海亀*1”だ。


唯一、彼らを中国人だと感じる瞬間は、
聴覚からの情報だ。


彼らは、われわれ日本人と話すとき、
意識的にか、声のボリュームを落とす。
50センチの距離なら、50センチなりの、
3メートルの距離なら、3メートルなりの音量で、
自然に話ができる。


ところが、彼らが中国人と話すときの中国語の音量は、
騒音公害に値するくらいデカイ。
話が白熱すればするほど、
ボリュームが上がっていく。


せんだって、隣の席の同僚が、
私の耳元で、バカデカイ声を発したものだから、
彼の体を手で払いのけてしまった。
まったく、無意識の動作だった。
MAXボリュームのラジカセを、
突然耳元で鳴らされたようなカンジで、
とっさに手が出てしまったのだ。


彼は、
「ごめんね〜!! 声デカイんだよ〜、オレ〜!!」
「うるさいよね〜!! 地声なんだよ〜、これ〜!!」
としつこく何度も私の耳元で、わざとらしい大声で繰り返す。


嫌がらせをしているのでもなく、
かといって、ふざけているのでもない、とすぐにわかった。
彼は、大きな声で喋ってしまったことを、
恥じているのだ。
「中国人は声がデカイ」と、
日本にいた頃、さんざん言われ続けてきたのだろう。
私がこれまで彼の声の大きさをとがめたことは一度もなかった。
初めて私の素の反応を見て、
私がずっとガマンしていたことを悟り、
開き直るしか方法がなかったのだと思う。


彼は、いつも異常なまでに、中国を恥じる。
でも、その心の奥底には、
誰よりも中国を愛している「誇り」がズシリと埋められている。
日本や日本人のすごいところを、
嫌というほど見尽くし、味わい尽くし、
とても太刀打ちできない、という敗北感を抱えて、帰国してきた。
その思いを、日本語や日系企業での仕事にぶつけて、
誰よりも優れた中国人になろうと、
勤勉にやっているのだ。


いつまでも大声で私にからんでくる彼に、
「うるさい! 集中力途切れちゃったじゃないか、もお!」
とわざと憤慨した顔を見せて、席を立ち、
喫煙所に向かった。


彼が中国人として接してくる以上、
私も日本人として接する以外、やりようがなかった。


彼は、本当に申し訳なかったとは思っていないだろう。
そうでなければ、困る。
私も、本当にアイツの声が迷惑だなんて思っていない。
そうでなければ、私は中国にいるべきではない。

*1:海亀:海外からの帰国者。