ひだまりの居場所

精神障害者をはじめ、生活困窮者の心に寄り添うブログです。

人の心はうつろうもの

この地に20年近く暮らし、この地の発展を支えてきたある日本人のおじさまが、このたび帰国することになりました。この街がまだ本当に貧乏な暮らしをしていた頃、彼はここに来て、日本の本社の期待を背負って、現地との板ばさみに苦しみ、3歩進んで2歩下がるような歩みを進めてこられました。おじさまのお仕事は、今はここ中国でも斜陽の産業となりつつある業種ですが、おじさまの会社だけは元気に今日も前進しつづけています。


お帰りになるにあたって、
「お寂しくないですか?」
と尋ねました。


「もう、この国の人たちといっしょに暮らすことに嫌気が差してきたんですよ」


思いがけぬ答えに、私は言葉を失ってしまいました。


昔はもっと人が明るくて、無邪気で、そして親切だった。山賊みたいなタクシードライバーもいたし、道は真っ暗でそこかしこに蓋の開いたマンホールがあって、それは危険な場所だったけど、人が生きている場所だという空気が満ちていた。だけど、最近の中国人は、「カネ、カネ」言ってすぐ人をだましたり、利用することばかり考える。義務を怠って権利の主張ばかりで、人として大事なことをすっかり見失っている。この地で生涯を終えることも一時は考えたけれど、もうそんな気はさらさら無くなってしまった。……と。


コンピューターの進歩がこの国にもたらしたものは、経済発展だけではなく、情報が瞬時にしてこの広い国土に広がっていくというスピード感ももたらした。法律が変わっても、地方には半年遅れくらいでようやく知れ渡るような時代とは違い、誰もが新しい権利について、リアルタイムで反応できるようになった。それが、この国を変えた原因のひとつだろう、とおじさまは言いました。狡猾な目をした労働者たちが、自分の利益のために、新しい情報をチェックし、一文も損をせぬよう、あわよくば誰よりも儲けようと、目を皿のようにして法の隙間をさがす。


いろんな新しいものがこの国に流れ込んできて、一気に住みやすくなったけれど、居心地の悪い国になってしまったことは、確かに間違いない。みんな緊張して暮らしている。日本人だけでなく、中国人さえも、気を緩められない毎日が続く。おかしい。何かが間違っている。


おじさまは、本当に日本で生きていけるのだろうか。こんな狡猾な人々から離れることは、おじさまの人生の幕引きには、平安なことではあるけれど、命をかけて心血を注いできたこの国の発展の行く末を、彼は最後まで見届けなくて、いいのかな? とちょっとだけ感傷的な気持ちになりました。


私達は世直しに来ているわけではないですが、良くない方向に進もうとしているこの国をこのままにしておいていいのかどうか、私はいつも不安な気持ちで見ています。でも、もうおじさまは疲れてしまったのでしょうね。長い間、ご苦労だったことでしょうから。ちょっとお休みして、また時々中国に帰ってきてほしなあ、と思いますが…。